国際協力ってなんぞや
2018/9/20
ブログのお引っ越しをしましたので、是非立ち寄ってみてください。
9月現在は記事数も少ないですが、これからどんどんあげていくのでお付き合いください:)
こんにちは!
アフリカに来て2週間が経ちますが、結構既に色んな経験させてもらえてます。笑
クレカ吸い込まれ事案に始まり、強盗に遭いほぼ全て失う、第二回クレカ吸い込まれ事案、
ザンジバル島、日本食レストランOSAKA、アフリカのこどもの日参加、鍋でお米を炊く、
年に一度のキリスト教のイベント、お好み焼き作り、チャーハン作り←new!
とっても思い出深いものばかりですが、特にこっちのお米を炊いた時のできあがりの日本ぽさに感動。笑
粘りといい堅さといい完全に日本のそれ。笑
鍋で炊いたからより美味しく感じるし、何より三戸さんが持参していた
ご飯ですよ!や、ふりかけ達でいただく喜びったらまぁすごい!
ちなみにこっちでは水道の水で料理をすることは基本的に出来ません。砂が混じってるから。笑
一度大きなバケツに溜めて砂を沈殿させてから更に布で濾した水を使ってます。だから米を炊くのも研ぐのも一苦労。
そうやって作ったご飯はやっぱり格別(笑)
それからお好み焼き!これは完全にこっちで商売できるレベル(笑)
かなり美味い!もちろん日本のと比べたら劣るし、
なんなら正直に言うとお好み焼きに近い何かだったけど(たぶん小麦粉が甘いせい)、
こっちの人は甘いの好きだから人気出るはず、うん。
ちなみに5~6枚作れる分の材料を揃えても250円という破格の値段。
これは軌道に乗るぞ~(やらないよ)
前置きが長くなったから本題に入ります。笑
TOPIC
・昔々、人が土地を巡って争った理由
・キリスト教イベントに参加
・国際協力ってなんぞや
・昔々、人が土地を巡って争った理由
僕が今滞在している村は本当に緑豊かで、お米や野菜トウモロコシなどが豊富に栽培され、食べ物には困らない環境が整っています。
多くの家庭で鶏を飼っていたりして肉も低価格で手に入ります。
(これは豚肉。ちなみに鶏肉は一頭丸ごと買って屠殺するそうです)
いきなりだけど、冷静に、もし食べ物に困ってる村に住んでたら襲って奪いたくなる。笑
(これ全てお米です。道端で大量に干されてます)
大昔、人が移住を繰り返していた頃は、水源や食料を求めて村同士の争いが頻繁に行われていたと歴史の教科書に書いてあったけど、
妙に納得。おそらく今の村はかなり土地に恵まれているように思います。
すぐ側に、国立公園に指定されている山があって水には困らないというのが一番大きな要因かと。
安全な水を手に入れるには困ると言ったけど、それはもちろん水を買わなかった時のことで、
村の雑貨屋にはボトルの水が並んでます。アジアやアフリカで貧困に苦しむ人が暮らす地域の中で、
貧困状態に陥った要因はそれぞれあるかもしれないけれど、【水】というのはかなり大きいなぁと感じます。
・キリスト教イベントに参加
話は全然違うけど、6/18にキリスト教イベントに参加してきました。
かなりいいタイミングで来たなぁと思うのが、これも年に一度の大きなイベント。
毎週日曜に、村ごとの集会が行われているのですが、今回は近隣の村全体で行われるかなり特別な行事。
みなオシャレな服を着て大きな広場に集合。名付けて【青空集会】。
聖歌隊が歌ったり神父がしゃべり倒したり集まった人たちがお金を寄付したり(僕らもしました)各村がお供え物をしたりして3時間ほど。
続いて布教活動の一つで、教会まで皆で仲良く歌いながら歩きました。
結局4時間半ほどかかって終了。辛かった(笑)
宗教の持つ力って凄いなと思うのが、先日のこどもの日イベントで、
お偉いさんや代表のこどもが一人で話してる時でも普通に隣の人とおしゃべりしたり、
ケータイいじったりしてるのに、こと集会となると誰一人としてそんなことする人はいなかったこと。
みな何をお祈りしてるのか分からないけれど、とにかく必死。
アフリカの人って結構色んな点で怠惰なイメージだけど、ここまで本気にさせる宗教ってなんなのだろうと少し興味がわきました。というよく分からない感想でした(笑)
・国際協力ってなんぞや
最後にちょこっと真面目な話。
国際協力って言葉が日本で流行り始めてずいぶんと経つけど、
そもそも国際協力って何者なのかと考えてみた。
世界中で10億人が飢えている、みたいな話を一度はどこかで聞いたことがあるかと思います。
そこから国際協力に興味を持つ人もいれば、実際に途上国と呼ばれる国に行って興味を持つ人もいて、入り口は色々。
でもさ、この世界から貧困をなくすことは可能なのかな。
これはネガティブな意見として聞こえるかもしれないけれど、
現実的に考えて争いがなくならなければ、この問題は絶対になくならないはず。
難民問題然り、子ども兵士然り、テロ然り。鶏が先か卵が先か的な話だけど、
テロや争いが起こるから貧困層が生まれるのか、貧困があるからテロや争いが生まれるのか。
僕が実際に来て凄く感じるのは、【貧困層】と、一括りに捉えてはいけないということ。
本当にぎりぎりの生活をしている人もいれば、学校に行けて食には困らず最低限の生活をしている人もいれば、
学校に行くお金を出せない家庭もあるし、その反対にめちゃめちゃいい暮らしをしている人もいる。
10億人が飢えているって本当なのか。僕はまだその答えを知ることは出来ないけど、
そういう誇大広告をうつことで逆に現地の人たちが困ることもあるんじゃないかな。
国際機関のお偉い方に実際に色んな村々に足を運んでもらえたら少しは変わるんじゃないかな。
寄付を集めるために悲惨な状況を伝える必要はあるけど、
その結果が生み出す【危険な地域・貧しい地域・恵まれない人々】という印象の方がよっぽどネガティブ。
自転車とおんなじだと思う。最初は補助輪必要だけどある程度漕げたら外す感じ。
寄付や援助は必要だけど、そこに依存するモデルを作っちゃいけない。
と、なると。僕ら外国人に出来る事って、彼らの選択肢を増やすことくらいじゃないかな。
田舎の小さな村で一生を終えるしか知らない彼らに、こんな生き方もあるんだよって示すこと。
そこに強制力が働いちゃいけない。意思決定はあくまでも現地の人々。
そもそも「途上国の人々の役に立ちませんか」とか、「恵まれない人々に寄付を」
みたいな話が、見下してる気がして大嫌いで。
本気で国際協力を騙って現地の人々のために何かしたいなら一回現場を見てからだと思う。