Genocide memorial parkに行ってきた
2018/9/20
ブログのお引っ越しをしましたので、是非立ち寄ってみてください。
9月現在は記事数も少ないですが、これからどんどんあげていくのでお付き合いください:)
こんにちは!
キガリに入って3日目。毎日コーヒー飲んで満喫しています。笑
というのもタンザニアだとコーヒー飲めるとこがなかなか見つからなかったので、
一ヶ月の反動が来て飲みまくってます笑
そして今朝、Genocide memorial parkに行ってきました。
1994年4月6日に、ルワンダで起きた大虐殺事件。
おそらくこの出来事を知っている日本人はほとんどいないかと思います。
なんと100日間で50~100万人のツチ族が殺されたと言われています。
僕はまだ歴史に関して知識が甘いので、この出来事について深く言及することは出来ませんが、
伝えたいのは現在のルワンダの発達レベルが凄すぎること。
たった20数年でここまで人々の生活が変わってしまうのかと来てみて驚きます。
[TOPIC]
[ルワンダの変遷]
[所感]
[課題]
もともとはベルギーの植民地だったが、1962年に独立。
66年から始まった経済再建計画により、最貧国からアフリカの模範的国家に。
しかしこの頃からツチ族に対して、フツ族による排他的な政策は行われていた。
そして都市化の進展や、コーヒー価格の大暴落などにより、
貧富の差は拡大。両民族の和解政策は採られつつあったものの、1987年にはウガンダに流れていたツチ族系難民によりルワンダ愛国戦線(RPF)が結成。
1990年以降、ルワンダ復帰を掲げるRPFと政府による紛争が勃発。
経済低迷や政情不安に加え、RPFによる侵攻で、当時の大統領は和解政策を改め、
反ツチのイデオロギーを掲げる。そして94年四月にルワンダとウガンダの両大統領が殺される事件が起き、
暴徒化した政府とフツ族は、ツチ族の虐殺を行う。(ルワンダ虐殺)
しかしRPFが再度侵攻しルワンダ全土を掌握したことで収束し、フツから大統領を、
RPFから副大統領(現大統領ポールカガメ)を出し新政権が発足。
2000年には大統領が辞任し、そのままカガメ副大統領が受け継ぐ形に。
紛争時に海外へ逃れていた人々 (ディアスポラ)が戦後、ルワンダに復帰し、
それぞれ習得したスキルで国家の発展に尽力。
21世紀に入ると、年間成長率7%前後と、近代化によって急速な発展に成功し、
アフリカの奇跡と呼ばれている。ICT立国を掲げ、普及・整備に力を入れており、
IT国家となっている。またアフリカのシンガポールと呼ばれ、
環境美化を強化しており、キレイな道路や緑がしっかりと残されている。
- [所感]
- [課題]