世界の片隅で小さな波を起こしてみたい
2018/9/20
ブログのお引っ越しをしましたので、是非立ち寄ってみてください。
9月現在は記事数も少ないですが、これからどんどんあげていくのでお付き合いください:)
何だか意味深なタイトルですが。
今、目の前に困っている人がいたら助けますか?
例えば重たい荷物を持って階段を登ろうとしている年配の人。
例えば電車で赤ちゃんを抱えたまま立っている親御さん。
例えば怪我をした友人が何か困っている時。
誰かの困り事じゃなくても、「こうしたらいいのではないか」という感覚。
例えば先日の本田が所属するメキシコのサッカーの試合で話題になった、
日本人サポーターがスタジアムのゴミ拾いをした話。
例えば震災が起こった時のボランティア活動、などなど。
日本人は世界で認められる、気遣いが出来る精神性を持っています。
でも正直に最近感じたことを挙げると、
「自分がしたことのリターンがすぐに分かる場合」に積極的になるんじゃないかな。
言い換えると自分のアクションからその結果までのプロセスが極めて短い場合。
それって一種の承認欲求から来る行動で、
「おぉ、自分はこれだけのことをやった」という感情が働きやすいのではないかということ。
でも自らの欲求から来る行動であったとしても、結果人の為になっていれば素晴らしいことだと思いますし、
常々そういうことが出来る人間でありたいと僕も思っています。
今回触れたいのは、「もっと規模が大きくなっても同じように動けるか」
僕は今アフリカにいますので、経済的に貧しい人々の話題ですが、
日本のみならず、多くの国が支援や援助をしています。
それは政府レベルでも民間レベルでも。
国際協力という、キラキラしている分野に興味を持つ学生も日本に大勢います。
しかし多くの人がぶつかるのが、
「問題の複雑さや幅広さ・それに対する自分の非力さ」ではないでしょうか。
僕も途方に暮れました。「何も出来ねえ」って。
だけど、それでも動かないと物事は前進しない。
一人に出来ることがどんなに小さいことでも、少しでもいい方向に進むなら取り組む。
世界中で困っている全ての人にアプローチすることは不可能でも、
自分の手が届く範囲で行動を起こせば、きっと大きな波を起こせるはず。
ウガンダの首都カンパラでは、本当にたくさんのストリートチルドレンを見ます。
道行く人にお金や飲み物、食べ物を乞います。
彼らを見る度、どうしようもなくやるせない気持ちになります。
もしも彼らに教育の機会を与えられても、他にまだたくさんの子が同じ状況にある。
じゃあ見捨てるのか?
悩んだ結果僕が考えたのは、
【人に依存せず、自分の力で自分の人生を生きて欲しい】
【将来、自分の国を引っ張っていける存在になって欲しい】
この2つ。そして自分で団体を起ち上げようと考えました。
だけど正味ウガンダにいられるのは10月末まで(今のビザだと)。
ハード面が何も揃っていない(子どもが寝泊まりする場所など)、
仮に労働ビザが下りても日程的にいられるのは1月末までで、残りは4ヶ月。
全てが中途半端に終わると思い、現地NGOにジョインすることにしました。
幸いにも僕が興味ある農業にも関われるため、結果的に良かったと思います。
同じ分野(国際協力)で頑張ろうと思っている学生の方、
問題がどんなに大きくて複雑でも、
自分にどんなに力が無いと思っていても、
自分がいい影響を与えられる相手がたった一人でも、
まずはその人のために動いてみましょう。
もし仮に他の人が報われなくても、今目の前にいる人が報われるなら素晴らしいことだし、
結果、自分の為になると思います。
僕は高校時代、現代の不条理さが嫌で、人間嫌いだった時期があります。
だけど世界の不条理さを自覚して、その世界で生きる人間の不完全さ、自分の非力さを自覚して,
ようやっと人間嫌いがなくなりました。
まだ労働力としての価値を求められない学生のうちに、たくさんアクションを起こしましょう。
それがきっと、この不条理な世界をより良いものに変えていく一歩になると思います。
と、言うことで、
先日の記事で少し触れた、悩んだ結果見付けた「何か」は、
ストリートチルドレンを保護・教育する組織を起ち上げることでしたが、
既存のNGOにジョインします!!!