未来の自分が今の自分に感謝できるように今を生きる

 

何か仰々しいタイトルをつけましたが、

 

僕は3年前の自分自身にもの凄く感謝しています。

 

もちろん、当時そんなこと思える状況には一切ありませんでしたが(笑)

 

僕は小学校二年生から去年の秋までの約13年間、ずーっとバスケットをしてきました。

 

そんな中でも一番勝つことにこだわったチームにいれたのは高校時代。

 

まぁとにかく辛かった笑

 

そりゃもう朝目が覚めてしまうことが嫌なくらい。「あー。今日も練習だ」みたいな笑

 

最終的に高3の夏にはインターハイに出ることが出来て良い終わり方が出来たのですが、

 

高3に上がってすぐ、僕は膝の靱帯を切りました。

 

その時点で負ければ高校最後の試合になるインターハイ予選までは1ヶ月半。

 

通常膝の靱帯を切ると手術が必要で、医者はプレーしてはいけないと言うのが普通です。

 

最っ高に絶望しました。「今まで何のためにやって来たのか。なぜ今なのか。」

 

親も、「テストで赤点取って良いからバスケを頑張って欲しい」

 

って言ってくれるくらい理解をしてくれて応援してくれていたのに。。。

 

もちろんそのまま引退。

 

なんて選択はせず、必死でリハビリを続け、インターハイ予選にも5分くらい出させてもらい、

 

インターハイ本戦でもわずか30秒くらいだったけど出させてもらえました。

 

インターハイを終えて入院しすぐに手術。そこからまたリハビリの日々が始まったのですが、

 

それは同時に苦悩との闘いの始まりでした。

 

「みんな勉強なり部活なり、それぞれの夏休みを必死で頑張ってるのにおれベッドで横になって何してんだ」

 

っていう自己嫌悪。

 

現役の頃はまだ頑張れるモノを取り上げられなかったからそれほど辛くなかった。

 

けど手術しちゃうと出来ることが極端に減るし、かなりストレスなんです。

 

そこから

 

"今まで何のために生きてきて、これから何のために生きていくのか"

 

ただただ答えのない問いにぶつかる毎日。体を動かしてストレスを解消、

 

なんてことは出来るはずもなく、

 

現役の時よりも違った辛さを味わいました。本気で死のうとは決して思わなかったけど、

 

死んだ方がましだってくらい本当に辛かった笑

 

その結果曲がりなりにも当時の自分には一番しっくり来る答えを出せて、

 

今の意思決定や、価値観の基礎になってます。

 

 当時出した答えって言うのが、【死ぬために生きる】というもの。

 

噛み砕くと、いつ死んでもいいように、着実に近づいている死への準備をする

 

死への準備。いつどこで死ぬか分からない。それに向けての準備。

 

最期の時に、あー!自分の人生面白かった!って笑って死にてぇなってことです。

 

嫌と言うほど自分と向き合ってめちゃめちゃ苦しんで、その結果出た答え。

 

きっとあのときの経験がなければ人間的な成長は得られなかったし、

 

まずアフリカにはいません。これは100%自信を持って言えます。

 

だからあの時、逃げないで死ぬ気でリハビリしてバスケをやりきって、

 

且つその後の苦しみからも逃げなかった自分に本当に感謝しています。

 

もちろんそれを支えてくれた家族や当時の周りの仲間にも。

 

このストーリー、所謂「あの時頑張ったから今の自分がある」って言う後付け論ですが、

 

これをアップデートしていかないといけない、それをこっちに来て強く感じます。

 

アフリカ来て自分が思うようにいったことなんてほとんどないし、

 

唯一自信があった打たれ強さもぶっ壊され、一時期は3年前と同じくらい悶々とする日々を過ごしましたが、

 

未来の自分が今の自分に感謝してくれるように、誰の為でもなく自分の為に頑張らないといけないなと痛感しています。

 

と、言うわけで、「あの時あぁだったから今がこう」っていうのは誰も知り得ません。

 

ただ、今どういう行動をすれば、確率的にそうなりやすいかは分かるはずです。

 

毎日甘い物食べまくって未来の自分が感謝してくれるとは思えないですし、

 

向き合うべきところで逃げても、結果は何となく見えてしまう気はします。

 

だから、自分の為に頑張りましょっ!